日本国大君
日本国大君(にほんこくたいくん)は、日本の江戸時代に対外的に用いられた、徳川将軍の外交称号。江戸幕府が外交文書(国書)において使用し、初めは朝鮮との間で用いられ、のちに琉球やヨーロッパ諸国との外交関係でも用いられた。略称は「大君」。
幕府の長である征夷大将軍、略して将軍は、字義的には単なる軍事司令官の称号に過ぎない事は、徳川幕府としても十分承知していた。そのため外交において、日本を代表する存在として認められる称号を用いる必要があった。
大君の語は『易経』に由来し、「大君命あり、国を開き家を承く」「武人大君と為る」「知あって臨む。大君の宜(ぎ)なり」などと見えるもので、いずれも天子を指す。また、英語で「実力者」や「大物」を意味する「tycoon」の語源となった。
全国制覇お笑い芸人誕生
歴史の足跡魅力を紹介
金魚すくい
美容サプリ情報案内
人材派遣の登録の仕方!
金時にんじんの雑記帳
ルーキーのグルメ食べ歩き!
英語の上達秘伝!
九月の空
フラワーパークで春夏秋冬体験講座
マイホームの掃除術伝授
小さな魔法使い
消費者生活アドバイスライフ
笑顔のまんま
上昇気流
心の扉
新しいシャツ
真央のかわいい靴
神風特攻隊
人気スポーツ旅
日本で支配者を意味する称号としては、室町時代に足利将軍(室町殿)が中国の明朝から冊封を受けて「日本国王」となり、外交文書においては国王号が使用されていた。足利義満は最初、征夷大将軍を名乗ったのであるが、明より外交相手として認めてもらえなかった経験によるものであるが、日本国王は中華王朝との宗属関係を意味する号であり、朝廷からは「他国より王爵を得た」という批判を受けた。
江戸時代には、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶していた日朝、日明関係の国交修復がなされ、2代将軍徳川秀忠の時代には対馬の宗氏を仲介に李氏朝鮮との交渉が行われる。当時、将軍は「日本国源秀忠」という肩書きを使用しない署名を用いており、朝鮮に送る国書もこの形式がとられた。しかし朝鮮との貿易に依存していた宗氏は独断で国書を偽造し、国書の署名を「日本国王」として貿易の開始を取り付けた。